トレーナー資格を取得するまで 【初投稿】

酒井

酒井 隆太と申します。
トレーナーとして活動しています。

本記事では、私がトレーナーになるための資格取得までの経緯を綴っておきたいと思います。
トレーナーを志望しておられる方の今後を考えるきっかけになれば幸いです。

トレーナーを目指したきっかけ 【関西高校】

私がトレーナーを目指したきっかけを簡潔にまとめると、
私が18歳のころ、高校での学業に嫌気がさしており、高校在学中に大学への進学を迷っていました。その当時、私はスポーツトレーナーになる(スポーツに関われる仕事につく)ための勉強なら自身で積極的に出来るのでは?と考えたことが始まりです。

私は高校卒業と大学進学を目前にして、大学に進んで目的も持たずに学業を継続することに疑問を感じていました。高校での勉強が将来につながるか分からず、高校に通いたくないと思う時期もありました。

また、部活ではサッカーをやっていましたが、高校サッカー部は半ばで断念、部活動を投げ出していました。それでもサッカーをするのが好きで、地元のコミュニティー内で草サッカーは高校在学中も続けていました。当時の私は、選手としてプロになることは自身の実力が伴っていないため諦めていました。しかし、サッカーを通じてスポーツに対する憧れや熱量は自身の中にくすぶっていました。

私の中の学業への取り組み方への疑問とスポーツに対する憧れという2つの気持ちが交わり、スポーツに関わる仕事につくため(トレーナーになるため)に高校卒業後は勉強しようという考えに至りました。自分の今後のための勉強に時間を使うのなら、苦痛も感じずに勉強を継続できるのではと当時は思っていました。

アメリカに行くことに 【ヒューマンアカデミー大阪校】

「トレーナーになりたい、そのための勉強をしたい」という気持ちのみで高校卒業後の進路を検討していました。
今ではつくづく考えが甘いと思うのですが、高校の学業が苦痛とか言っているので学業成績も悪く、大学を自由に選択し受験することは叶いませんでした。そこで私はスポーツの専門学校に行くことを考えました。そして、高校卒業後にお世話になったのがヒューマンアカデミー大阪校でした。

私を進路を一番気にしていたのが私の両親でした。
私が大学に進学しないと決断した時に、両親は私の将来、人生を考え「本当に大学に行かなくて大丈夫?」と高校卒業後の進路を考えているときに何度も問いかけていました。大学に行くことが全てではない、と考えていた当時の私はその問いかけを無視しておりました。

ヒューマンアカデミーに行くことを決めた時、そこにトレーナーとしての基礎知識と英語を1年間学び、さらにアメリカ内の大学に入学するための支援をしてくれるというプログラムがあるのを知りました。トレーナーの勉強もできて、(日本ではなくアメリカに行くことになるにせよ)大学進学の支援もしてくれるプログラムが私と両親の意向を同時に満たせるものでした。

当時の私は考えが浅く、トレーナーになれれば何でもいいと思っていたのでアメリカに行くことなど全く考えていませんでした。その時に両親に言われたのが、「本気でトレーナーになりたいのなら、アメリカの大学くらい卒業して見せろ」でした。多額の学費もかかる、しかも私の英語の成績は5教科の中で最低であったのにも関わらずです。

両親の言葉で発破をかけられた私は何が何でもトレーナーになってやろうと思うようになりました。そして、大学進学も迷っていた私がアメリカの大学に行くことにしました。

英語、留学 【ネブラスカ大学カーニー校】

私はヒューマンアカデミーで1年間勉強し、ネブラスカ大学カーニー校に進学しました。私はそこでアスレティックトレーナーの資格であるNATA-ATCの資格を得るために勉強をしました。しかし、留学前1年の勉強期間を経ても、英語がちゃんと聞けて話せるレベルには達していませんでした。

英会話の先生が英語を知らない私たちにゆっくり喋りかけてくれるのとは違い、ネイティブスピーカー同士の会話のテンポがすごく速かったのが一つの理由だと思います。マシンガンのように飛んでくる英単語の1つ1つに圧倒され、私は会話についていくことが出来ませんでした。そんな状態の私がアメリカで生活が出来たのも大学に日本人の先輩が生活の手助けをしてくれたからでした。

当初、大学の講義を聞いても全く分からなかったので、授業が終わった後に辞書を片手に配布されていた教材を相当な時間をかけて読むことで理解していました。トレーナーの実習現場でも言われたことを理解できず右往左往していました。そんな当時、助けて頂いた先輩方、言語の壁に理解を示してくれたアスレティックトレーナー学科の恩師や同期の友人には感謝しております。

4年間の大学生活の中で、私自身も英語を学びなおし、日常的に英語を経験することで年々英語でのコミュニケーションが取れるようになりました。在学中に私が感じたことは、「日本人だから分からない」を理由にしては絶対にいけない(あたりまえの事)、英語は道具である事です。英語を勉強するのではなく、英語でほかの学問を勉強するという状況を認識するのが、私は遅かったと当時を振り返ってみて思います。英語での読み、書き、会話が出来るのは当たり前で、日本人だからといって英語にてこずっていては物事が先に進みません。周りの人も英語が使えないという前提で会話をしたり、行動を共にしたりすることはありません。アメリカの大学に在学しているのだから当然のことですね。

英語を使えるようになってからは、資格取得のための大学での勉強とトレーナーの実習を積極的に行い、留学生活も楽しむことも出来ました。
4年でネブラスカ大学カーニー校を卒業、同時にNATA-ATCの資格を取得しました。その後、アスレティックトレーナーとして仕事を続けています。

どのようにトレーナーになったのか?をまとめておく

私がトレーナーとして活動できるようになった経緯をつたない文章にはなりましたが、簡単に綴りました。

私はアメリカの大学で勉強しトレーナーとなりました。最初はアメリカ、その後は日本でアスレティックトレーナーとして活動をしております。私は学生の時も業務をおこなうようになってからも、周りの環境、人、運に恵まれ今があります。私と関わってくださっている皆様には感謝の一言につきます。
この場でお礼を、本当にありがとうございます。

この記事が、トレーナーを目指す方や留学を検討している方にとって少しの良いきっかけになれば幸いです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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