資格取得後、最初の2年間を振り返る

酒井

本記事では、私が資格を取得してアスレティックトレーナーとして活動をはじめて最初の2年を振り返りたいと思います。

まず、、
NATA-ATC というアスレティックトレーナーの資格を取得してから、Graduate Assistant (GA)という立場でカンザス州にあるオタワ大学で2年間業務をおこないました。様々なスポーツを2年間で経験し、同僚とも仲良くできてとても楽しい時間を過ごさせてもらいました。当時の上司、同僚には本当に感謝しております。

● Graduate Assistantとは
アメリカでは一般的にも周知されているGraduate Assistantと呼ばれる立場、制度があります。頭文字をとってGAと呼ばれることが多いです。このGAとは大学のスタッフとして業務をおこないながら、所属している大学の大学院に生徒として通う制度またはその人のことを言います。大学スタッフとして働くので、大学院の学費の免除が報酬となることが多いです。GAは大学のスタッフ全般を指す言葉なので、アスレティックトレーナーだけではなく、大学の事務スタッフや部活のコーチングスタッフにもGAという立場の方がいることも多いです。

私は2年間GAアスレティックトレーナーとしてオタワ大学で業務をおこない、業務終了後に大学院生として授業に参加しておりました。

●様々なスポーツをみた
私が所属したオタワ大学では、GAアスレティックトレーナーは1年ごとに担当する大学部活の競技を変更するというルールがありました。

私は、1年目に男子&女子レスリングの2チームを担当しました。そもそもレスリングという競技を知らなかった私は大まかなルールを覚えることからのスタートでした。また、スポーツの中でも格闘技種目の担当することは学生時代の実習の経験からしても私にとって異例のものとなりました。
格闘技なので接触による出血も多いですし、試合中に起こった外傷(出血と頭頚部外傷以外)は90秒で評価と試合継続可否の判断を迫られるスポーツです。アスレティックトレーナー1年目の私はアスリートとのコミュニケーションの方法や、ケガの応急処置、外傷評価とリハビリなどの基礎的なことを日々四苦八苦しながらおこなうこととなりました。現在の私以上に未熟なのは間違いないのですが、それでも今思うと良い経験をさせてもらったと思います。

GA2年目、私はアメフト、野球、男子バレーボールを担当しました。1年目と比べても担当するチーム数が増えて、アメフトというチーム内のアスリートの人数が多い競技もあって、アスリートとのコミュニケーションの方法を考える機会が1年目以上に多かったです。また、会話するコーチも増えたのでコーチとのコミュニケーションも考えることも増えました。そのほか、不運にもシーズン中に負傷し手術をする必要があるアスリートがいたため、術後のリハビリも経験しました。

私はGAとして業務を行った2年間で計4競技、5チームの担当をさせてもらいました。この競技の数は多い方なのではないかと思います。

●資格取得後の2年間の経験
あたりまえですが試行錯誤の2年間となりました。たくさんの競技を経験できたのは私にとって良いことではありましたが、競技の特性を考える事、スポーツによる外傷の種類や頻度の違いについては大いに考えさせられました。日々のリハビリの構築や運動の選択についても違いが多く、悩む時期がありました。また、大学4年のアスリートが怪我をし手術をすることにも立ち会いました。大学でのアスリート人生の時期的な問題もあって、アスリートの精神的なサポートの重要性にも気づかされ、試行したこともあります。
ただ、分からないことは上司に相談もできましたし、私と同じ立場のGAアスレティックトレーナーの同僚が親身になってくれました。貴重な仕事環境であったと思います。

アスレティックトレーナーとしての1歩を踏み出した段階だったので、未熟なところも多く日々の業務で手いっぱいでありましたが、基礎的なことを考え積み重ねることが出来た良い時間でした。

●最後に
GAという立場を頂き、トレーナーとしての下積みが出来たことはとても有難かったと感じております。現在は、NATA-ATC の資格取得の課程に変更があったのでアスレティックトレーナーのGAという立場がなくなっていると思います。トレーナーを目指している方は、資格取得後にどのように働き、どんな経験を積むのかを前もって検討しておくのも良いかと思います。

初志貫徹という言葉もあります。「自身が出来うる最大限のサポートをアスリートにおこなう」、私は当時感じていたこと、考えていたことを忘れず、現在のトレーナー業務、活動に真摯に向き合っていきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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